僕のゴールドそしてプラチナレコードと賞のほんの少しだけ
賞と賞賛は僕が何故行うのか、何を行うのかという動機ではない。何を僕が行うかというと、せざるを得ないから行うのだ。僕は全く音楽を作らざるをえないのだ。何故ならそれが、人間として僕が何者であるかを定義する主要な特徴の一つだからだ。賞と賞賛は僕が良い仕事をした時に生じる、ただの付加的恩恵だ。僕は仕事をするのが好きだし、一緒に働く人々が好きだ。
昨日、僕は一流雑誌のNMEから(彼らによる)今までで最高の50人のプロデューサー をリスト化した一つの文章を送られた。そのリストに載るのは素敵なことだし、僕がそのトップ5に入る価値があると彼らが信じているのは嬉しいことだ。僕は、彼らがその文章の中に言及したその僕の記録のリストを読んだ時、僕はこんなに沢山の素晴らしいアーティスト達と演奏して来たなんて、なんと幸運なのだろう、と思った。
僕はプロデューサーであり作曲家であるかもしれないが、僕はまたギタリストでもある。 僕は幅広い領域に亘る何百ものアーティスト達と演奏してきた。: ほんの数例を挙げると 、ニーナ·シモン、フィービー·スノウ、ビリー・ジョエル、ビヨンセ、ブルース·スプリングスティーン、ブルーノ·マーズ、アダム・レヴィーン、アダム・ランバート、ハービー·ハンコック、ボニー·レイット、ウェイン·ショーター、ストレイ·キャッツ、ジョン·マクラフリン、マーカス·ミラー、デイヴ·リー·ロス、カルロス·サンタナ、レニー·クラヴィッツ、スティービー·ワンダー、ライオネル・リッチー、ビッグ・アンド・リッチ、イディナ・メンツェル、エルヴィス·コステロ、ビーバス・アンド・バットヘッド、ビッグバード・アンド・バーニー、ホール・アンド・オーツ、そしてメリル·ストリープ。
作曲にスタジオで取り組んでいる
僕の人生の平均的な日の中で、僕は沢山の素晴らしいことをし、昨日はその例外ではなかった。僕自身の作曲そして作品をスタジオで扱った。僕は7月13日の僕がその夜に演奏し監督をする、モントルー・ジャズ・フェスティバルの為のアーティスト達のラインナップとショーの進行を準備した。僕はまた、2つの電話会議をし、ローリング・ストーンズ・マガジンとインタビューをした。それはアダム・ランバートの曲 "Shady" についてだった。僕はこの曲を何ヶ月か前に演奏した。
そのジャーナリストはアダムと仕事をするのはどんな感じかを知りたがった。僕は彼に、アダムと仕事をするのは快適で、同時に必死だと説明した。"必死? " 彼は訊いた。"どんな風に? " と。僕は "僕達には互いのスケジュールの為、ほんの数時間だけしかなかったんだ" と言った。アダムもそうだったように、僕は翌日街を離れることになっていた。時間は僕達の敵であり、しかし僕達には選択肢はなかったから、アバター・スタジオを予約し、とにかく行って、やったのだ。
アダムはプロで、そして集中していた。しかしまた、彼は僕に僕のやり方で曲を解釈するのを許してくれた。僕がしたいように演奏した後、僕達は幾つかの別のアイデアで協働し た。そして、僕はアダム・ランバートの曲 "Shady" で一緒にジャム・セッションをし、アドリブ演奏をした。
MJFのCEOであるクロード・ノブズが僕にコーヒー・テーブルでモントルー・ジャズ・フェスティバルについての本を見せている
ローリング・ストーン・マガジン
アダム・ランバートと "Shady" を演奏している僕
アダムと仕事をするのは快適で、同時に必死だ
アダムはプロで、そして集中していた。しかしまた、彼は僕に僕のやり方で曲を解釈するのを許してくれた
僕がしたいように演奏した後、僕達は幾つかの別のアイデアで協働した
そして、僕はアダム・ランバートの曲 "Shady" で一緒にジャム・セッションをし、アドリブ演奏をした
96年武道館での僕とナード - バーナードの最後のショー
来週、僕は日本へ向かう。僕はブルー・ノート東京で演奏する。僕は、毎年4月に僕の長い間のパートナーであったバーナード・エドワーズの死を偲ぶ為に行く。僕達は1996年4月、東京で僕達の最後のショーを共に行った。
次のドキュメンタリーには彼の死の数時間前となる、バーナードの最後の映像がある。そのフィルムはレノン/マッカートニーの歌で、彼らの最後の共同作業そして僕の最後のバーナードとの共同作業のシンボルである "Let It Be" で始まる。
18ヶ月前、僕はかなりの進行性の癌に襲われた。それは僕の - そして僕の前パートナーの- 人生を見直させることとなった。これを最後に投稿する時、僕はデジャヴの2つの出来事を経験した。
昨夜、僕はバーナードについての迫力のある夢を見た。そして、僕はこのフィルムを再投稿するべきだ、と思った。これはWOWOWの為のTVスペシャルで、僕の人生とバーナードの日本での死に焦点を当てている、Br@inによって製作されたものだ。どうぞ見て欲しい。それは日本語と英語のものだ。全ての単語は理解出来ないだろうが、全ての感情を理解するだろう。
WOWOW TV - 日本
ドキュメンタリー: ナイル・ロジャーズ
長さ:43:45
形式: NTSC 16:9
このジャーナリストは僕とバーナードを彼の死の前日にインタビューした(訳註:鈴木しょう治氏。写真は昨年のもの)
吉田兄弟(三味線の名手)と僕 - 昨年
僕とポップスター/声優の平野綾 - ブルー・ノート東京の舞台裏にて
昨年4月の日本のスッキリ!TVでのCHICのライブ
昨年4月東京にて、僕の以前のパートナーであったバーナード・エドワーズの死を偲ぶ
僕と非凡な俳優、デルロイ·リンドが会場にいた
昨夜、僕はソングライターの殿堂のためのマスタークラスを行った。それはニューヨーク大学で行われ、満員だった。人々は素晴らしかった。僕は本にサインをし、夜遅くまで写真を撮った。
僕は電車を逃したが、東部夏時間で午前4:50のブログの投稿時間を逃したくなかった。深い文章を書く十分な時間は無かったが、ここに沢山の写真と何が起こったかをお見せしよう。
マスタークラスの始まり
ソングライターの殿堂のためのマスター・セッション・シリーズ
マスター・セッションで演奏する
ニューヨーク大学の寮に住んでいるソングライター、フィル・ガルドストンと僕は、ダイアナ・ロスの "I'm Coming Out" の歌詞の意味を論証した
マスター・セッションのホスト、フィル・ガルドストンと僕は曲作りに思いを巡らした
出席者の写真
出席者の写真
出席者の写真
出席者の写真
出席者の写真
サインの為にロビーにいる人々
僕とフィルは参加者に感謝した
曲に秘められた意味(DHM)を説明する
ル・クリブの裏庭でオリジナルのCHIC80年グランド・ツアーTシャツを着る - それは、僕の以前のローディーであるブルース・レヴィンから貰ったものだ
この数日の間に僕には幾つもの大きな驚きがあった。これらの事がどれだけ僕にとって意味を持つかを説明するのは難しい。- だが、やってみる。それを考えるに、長く音信不通だった親戚や埋められていた宝物を見つけた事を組み合わせたようなものだと思う。君が知っている何かのような、そしてまた真新しいように感じるような。僕はこれらの素晴らしい贈り物を持てた事に本当に感謝する。それらは僕に掛け替えがないと感じさせる。
美はそれを見る人の目の中にある。そして、芸術品の価値はその買い手が支払いたいと思うもの(の値)だ。お店でこれらの贈り物を見つけたとして、僕は何を支払うだろうか判らないが、それらは以前の従業員達から僕に与えられた。アメリカで、僕達には一つの諺がある。"人生で最高のものは無料(値段が付けられない)"。これらの気取らない贈り物は、僕に僕の人生の中の何人か(そして幾つか)の最高の人々、場所そして物事のことを思い出させる。
僕の以前のローディーである、ステファン・パワーズはCHIC の79年のツアー・ジャケットをくれた。僕はまだそれを着ることが出来る。
ブラックスプロイテーション映画(英辞郎より引用:1970年代前半に登場した都市部の黒人層を対象にした映画のジャンル。黒人をステレオタイプ化し、ゲットーでの麻薬や暴力を扱い、黒人公民権運動家から批判された) の警官みたいに見える空港でのバーナードと僕。- 掛け替えがない!
舞台上の僕とルーシ・マーティン
これは1979年のアイオワ州祭のCHICコンサートのチケット。チケットの値段を見てみて
ブルース・レヴィンが僕に戻してくれた僕のオリジナルの譜面の幾つか
ブルースが僕にくれた79年のUKツアー・ブックの写真
79年のUKツアー・ブックの表紙
僕の以前のローディーであるブルースが僕にくれた79年のUKツアー・ブックの写真
"人生で最高のものは無料(値段が付けられない)" - ブルースはこの30年以上前のCHICのTシャツを先週僕にくれた
今日、僕は休みで、映画「ハンガー・ゲーム」を観に行った。
今日、僕は休みだった。僕の世界の中では、それは凄い事だ。僕は映画「ハンガー・ゲーム」を観に行った。先週、僕のWe Are Family基金のジャスト・ピース・サミットは幕を閉じようとしていた。それは大いなる成功であり、僕達のグローバル・ティーン・リーダーの一人は「ハンガー・ゲーム」の最後の8ページを読んでいた。
そのすぐ次の日、僕達の基金はTEDティーン版のトークを催し、その後同じ日にディスコの伝説というコンサートが続く本のサイン会をハマーシュタイン・ダンスホールで催した。3つのイベント全てはとても成功だった。
僕はカーネギー・ホールでのレインフォレスト基金コンサートの為に、リハーサルを翌日朝から始めた。リハーサルの三日間の後、コンサートは行われた。それはまた大いに成功した。
今、僕は数日の内に日本に行く計画を始めている。僕はこの旅を毎年春に行なっていて、それはCHICの春夏ツアーシーズンの始まりになっている。
ここに座っている間、僕は未来の可能性を深く考えている。これは写真の中の僕の先週だ。
僕、フォンジー、そしてルーサー - これが僕のルーサー・ヴァンドロスとの最後のセッションだった
今日はイースター・サンデー(復活祭の日曜日)で、僕は僕の人生を振り返っていた。僕は昨日、昔からの友人であり、ルーサー・ヴァンドロスがCHICにインスピレーションを受けたChangeをやる為にCHIC Organizationを離れた時に加わった、同僚のフォンジー・ソーントンからeメールを受け取った。
フォンジーは僕のプロとしての最初の仕事だったセサミ・ストリートでの僕のルームメイトで、僕達は世界中をツアーして周った。僕達は丁度19歳で、そしてそれ以来僕達は友達だ。
僕達は沢山の音楽を担当したニューヨークのスタジオ・ミュージシャンのグループの一部である事をとても誇りにしている。主に人々をダンス・フロアに押し上げる、だが同時に彼らの魂に触れる音楽。彼らのとても多くが亡くなり、そしてフォンジーはいつも僕に言う。それをやり続けると約束しよう!と。
ルーサー・ヴァンドロス - 安らかに眠れ - はCHIC、Changeそしてボウイと歌った。彼の作曲とヒットレコードの作者としての表示はリストアップするには余りにも長過ぎる。
CHICの共同設立者、バーナード・エドワーズ - 安らかに眠れ。彼のヒットソングそして作品はリストアップするには余りにも数多い。
トニー・トンプソン - 安らかに眠れ - はCHIC、ボウイのレッツ・ダンスそしてシリアス・ムーンライト・ツアー、パワー・ステーション、そしてレッド・ツェッペリンとのライブ・エイド等で演奏した
ルーシー·マーティン、レイモンド·ジョーンズ - 安らかに眠れ - そしてアルファ・アンダーソンと背後のCHICの弦楽器パート
僕、CHIC Organization、そしてフォンジー・ソーントンはそれをやり続けると約束しよう!
僕の前パートナー、バーナード・エドワーズの死の15年忌に敬意を表して - 去年4月東京にて
僕はもうすぐ日本に向かう。僕はバーナード・エドワーズの思い出に敬意を表して毎年春に行く。彼は僕の長年のパートナーであり、CHIC Organization LTDの共同設立者だ。そして彼は約16年前僕と日本で演奏している間に亡くなった。
僕達はJTスーパー・プロデューサーズと呼ばれる、大規模なギグをしていた。それは90分のTVスペシャルでクライマックスを迎える、一連のコンサートだった。そのコンセプトは: 音楽プロデューサーをその物語を語る事で称えるというもので、プロデューサーが共に仕事をした沢山のアーティスト達とのライブ・コンサートがその後に続いた。1996年、僕はそのプロデューサーで、スティーヴ・ウィンウッド、デュラン・デュランのサイモン・ル・ボン、シスター・スレッジ、スラッシュそしてCHICが出演したアーティストだった。
そのライブ・コンサートの最終日、バーナード・エドワーズはステージで崩れ落ちた。彼は回復し、3時間のコンサートを続けた。そのショーの後彼はホテルの部屋に戻り、そして、テレビを観ながら長椅子の上で亡くなった。
僕は、翌朝彼が目覚ましの電話に出なかったので(部屋に向かい)彼の遺体を見つけた。信じられない。16年が経ったのだ。
80年代パワー・ステーションにて僕とバーナード・エドワーズ
80年代のバーナード・エドワーズ - 非凡なベース奏者、そして僕
ナイルとナード(バーナードの愛称)96年4月武道館 - バーナードの最後のショー
スティーヴ・ウィンウッド
サイモン・ル・ボン
シスター・スレッジ
スラッシュ
CHIC Organizationの最初のフルメンバー
僕が作曲している、新しいミュージカルからの曲をキッチンで演奏している
約1年半前に癌に襲われて以来、僕は精一杯人生を生きるように努めている。満たされた人生と僕が呼ぶ生活の一部は、返していくものだ。僕は人々が僕に沢山くれたようには僕は出来ていない。
僕は人生の道のりの間に多くの偉大なる師を持ってきたし、僕はそれらの教えを大事にしている。僕が作曲するまたは制作する時、僕は脳の中に深く留まっているトリックの巨大な鞄を開ける。
4月10日、午後7時、ニューヨーク大のフレドリック・ロウ劇場で、僕は作曲家の殿堂、マスター・セッション・イベントを行う。僕は長年培ってきた幾つかの技術を分かち合い、僕の新しい作品の幾つかさえ演奏するつもりだ。それは一般に公開されていて、無料だ! 僕はCHICからマドンナ、ミュージカルまで全てをカバーする。
ニューヨーク大スタインハートのポスター
僕の音楽の師の一人、テッド・ダンバーがマスタークラスを行なっている
僕の二番目のCHICのアルバム "C'est CHIC" - 僕達の最も売れたレコードについて、語るべき沢山の話がある
マドンナのアルバム "Like A Virgin" は彼女の最大のヒット作だ
ダイアナ・ロスのアルバム "Diana" は彼女の最大のヒット作だ
デヴィッド・ボウイのアルバム "Let's Dance" は彼の最大のヒット作だ
アラバマ・シェークスピア・フェスティバルでの僕のミュージカル、"Double Time" リハーサルでの俳優達
ショーの直前の、カーネギー・ホールのステージ上のギター・セクション
今日のブログ投稿のタイトルへの、勿論冗談での答えではあるが、"練習" だ。火曜の夜、僕達はセーブ・ザ・レインフォレスト基金(熱帯雨林を救え基金)の為、カーネギー・ホールで素晴らしいパフォーマンスをした。ショーをする前に、僕達は沢山練習をしなくてはならなかった。午前10時に始まり、夜にまで及ぶリハーサルが3日あった。"どうやってカーネギー・ホールに辿り着く?" という事(答え)を示す、最後の何日かの写真が更に幾つかある。
小さなセクションで弦楽のチャート(譜面)を練習する
ブルーノ・マーズが "Jail House Rock(監獄ロック)" を練習している
スティング、エスペランサ・スポルディング(他のカメラを見ている)そして僕が練習で写真休憩をとっている
カーネギー・ホールで僕達が練習をしている間、僕達の出演者の一部は休憩の時に写真を撮っていた
音楽ディレクター、ナラダ・マイケル・ウォルデンがバンドに合図を出す
コーラスとバンドがナラダの指示を聞いている
僕達はフィナーレの練習をまさにしようとしている - これが、カーネギー・ホールが僕達の椅子からどう見えるかだ。
全部のショーをひと通り流す前に、"Moon River" を練習する
僕達が全体のショーの練習をする前に、カーネギー・ホールで何曲か練習をしている
楽屋のある場所でのメリル・ストリープとジェニファー・ハドソン
はっ! ティーンの時に僕がカーネギー・ホールに最初に行った時、皆煙草を吸っていた(貼り紙に「喫煙禁止-カーネギー・ホールには新しい、とても精度の高い火災警報装置が設置してあります。それが作動すると、ビル全体に響き渡ります。-冗談ではありません。」と書いてある事をうけてのコメント)
クリントン大統領、メリル・ストリープそしてブルーノ・マーズ(シルエット) - 大統領がサックスを吹いているのを聞いた事があるかい? 余り練習しなくても、大統領はカーネギー・ホールに辿りつけるんだ