僕の自叙伝「Le Freak」について講演する為、スコットランドのエディンバラで開かれるエディンバラ・インターナショナル・ブック・フェスティヴァルに向かっているところだ。僕の出演は十九日の日曜日。
このイヴェントは RBS Main Theatre で開催される予定で、チケットはここで買えるよ:TIX
こちらが今回の NY市→エディンバラ(NYC>Edinburgh)の旅に関する案内。
作曲家の殿堂 - NY大学にて ナイル・ロジャーズを迎えての特別授業
2012年の四月十日、ニュー・ヨーク大学のスタインハート(※)で教鞭もとっている作曲家である Phil Galdstonが、Frederick Loewe Theatre でソングライターズ・オヴ・フェイム(作曲家の殿堂)イヴェントが行われた際に僕にインタヴューした。僕らは作曲の多くの異なったアスペクトについて話し合ったよ。フィルは彼の手によるヒット曲の長いリストを持つ第一級の作曲家なんだ。以前に彼と僕は共同で作曲をした事があったけど、現在とあるプロジェクトでもコラボレイトしているんだ。
これはその時のインタヴューの全ての模様。ブログが訳されている全ての言語の字幕をつけられなくてごめんよ - でももし君が英語を話さないとしても、僕がどれほどにこの「作曲家の特別授業(The Songwriter's Master Class)」を楽しんでいたかはわかってくれるよね。
(※)訳註:ニュー・ヨーク大学内にある The Steinhardt School of Culture, Education, and Human Development は1890年に The School of Pedagogy として開設された、アメリカ初の教師の養成の為のプロフェッショナル・スクール。Department of Music and Performing arts Professions という部門が有る。
ダフト・アートのポール・ハーンと僕、マイクル・ジョーダン経営のレストランにて(バーに居合わせた客による撮影)
この数日の間、僕はこの既にエキサイティングな一年の今後に関して山ほどのミーティングを行ったよ。もうこれ以上興奮する事はないねと思っていたまさにその時、ダフト・アートのポール・ハーン(※)から僕に電話があったんだ。彼はニュー・ヨークにいた。僕もそうだ - 僕らはお互いの他のミーティングの合間に会おうという事になった。そしてグランド・セントラル駅にあるマイクル・ジョーダンが経営するレストランのバーで落ち合った。僕らはその大急ぎのミーティングの時間内で出来る限り多くの事について語り合ったよ。(※訳註:ダフト・アートはダフト・パンクのヴィジュアル部門)
急に、僕は電話を何本かしなければいけない事を思い出したんだ。何故って僕は前のミーティングが延びたせいで次のものに遅刻していたからね。ポールはそんな僕の混乱した状況に際してもクールだったよ。僕が電話を切るなり、僕らは間髪を入れず自分達の打ち合わせに戻ったのさ。僕らはいくらかの新しいテクノロジーやヴィジュアル・コンセプトについて、そしてこの数ヶ月でそのうちのいくつ(のアイディア)が実現したかに驚き、盛り上がったよ。僕らは「ザ・ヒットメイカー」があだ名の僕のフェンダー・ストラトキャスターと、「ザ・シーコキャスター」があだ名の僕のプロキシガラス製透明ボディのギターマン(製ギター)についてと、そして当然、次のダフト・パンクのアルバム(Daft Punk Album)の最新ミックスについて語り合ったのさ(※)。僕はとっても興奮しているんだ(I'm Hyped)。(※訳註:本ブログの過去記事にあるが、ナイル・ロジャーズはダフト・パンクとレコーディングを行っている)
「ザ・ヒットメイカー」があだ名のフェンダー・ストラトキャスターを弾いている僕
「ザ・シーコキャスター」があだ名の、僕のプロキシガラス製透明ボディのギターマン(製ギター)
公言するよ、僕はとても興奮している!
Nile Daft Funk
Daft Punk animation by @CatnipSoup
今日は「アンサング」という TVスペシャルの仕事をした
今日はアンサングというTVスペシャルの仕事をした。それは本当に並外れた音楽番組のシリーズで、僕はその何本かをユーチューブで観ているんだ。撮影の合間のとある休憩中に E-メイルをチェックしていたら、僕のハートを喜びで飛び上がらせる便りを受け取ったよ。それはルーシ・マーティンからのものだった。彼女は The CHIC Organization の第二期(『エレガンス・シック(C'est CHIC)』から『ビリーヴァー』まで)に在籍していた。彼女は僕らがどれほど笑っていたかを、お互いに対して僕らが持っていた本当の愛を、そしてその愛情が決して消えない事を書いていた。彼女はそれを口にする必要はなかったんだ、何故って僕はいつもそれに気付いていたからね。でもそう書いてあるのを読むのはとてもナイスだった。僕は彼女と全ての CHICの仲間への深くて終わることのない愛情を持っているよ。
最愛なるルル(ルーシ)、君の E-メイルは絶好のタイミングで届いたぜ。僕をスターバックスのダブル・エスプレッソ・マキアートよりも刺激したんだ。僕はカメラ・クルーがセット・アップしていた我が家の地下室に走って戻り、明晰さ、心からの楽しみ、そして満面の笑顔と共にディスコの歴史についての四時間もの長きにわたるインタヴューを終わらせたよ。
今日まさにこの日まで(To This Very Day)続いている、何人かの並外れた才能に溢れたみんなと仕事をし続けていられる、そんな人生に僕は感謝しているんだ。
サン・レモで夕食中の初期 CHIC Organization全員 (メンバーとスタッフ)、手前左が Karen Milne (ヴァイオリン)、そしてワイン・ボトルを持っているのがルーシ・マーティン
『エレガンス・シック(C'est CHIC)』アルバム・カヴァー
CHIC『ビリーヴァー』アルバム・カヴァー
僕の、四時間もの長きにわたる、ディスコに関する情熱と共に止めどなく湧き出てくる「アンサング」用の演説を捉えた二台のカメラ
今日まさにこの日まで続いている、何人かの並外れた才能に溢れたみんなと仕事をし続けていられる人生に僕は感謝している
アイルランドでのとあるショウの終演後にファンが僕にくれたTシャツ
最後のショウを終えてから荷物をまとめる時間は一時間しかなかった。僕はそれから、我が家の自分のベッドへやっとこさたどり着く前に、夜も昼も移動にあてなければいけなかったんだ。(最後の)ショウはアイルランドのコーク州リスアードで行われた。そこはスキバリーンという街の近くだけど、行き来は決して楽ではなかったんだ。(※)訳註:スキバリーンのホテルに滞在していたと思われる
遂に帰宅して僕は E-メイルをチェックした。最初のメッセイジは数日前にアイルランドのベルファストで行った本のサイン・イヴェント中の僕を誰かが撮影した動画クリップだったんだ。
クリップは スティーヴィー・レイ・ヴォーンとの仕事はどんな感じだったか という質問への僕の答えの途中から始まり、デイヴィッド・ボウイーの曲「レッツ・ダンス」に関する物語へと続いていたよ。あれが、その時点で次のボウイーのアルバム(The Then Next Bowie Album)となるものの中からスティーヴィー・レイが耳にした最初の曲だったんだ。
Nile Rodgers in Belfast on David Bowie and Let's Dance
サインを待つアイルランドのファン
ファンとスキバリーン市街の路上にて
リスアードでの僕らの最後のショウに集った人々
リスアードの観客達
最後のショウの後、荷物をまとめるのに一時間しかない
新たなる充実の一週間に感謝! そしていま、帰途に。コーク→マンチェスター→NYC(Cork > Manchester > NYC)。
今週最後の行き先はアイルランドのコーク、Liss Ard Festival 出演の為。ルート - スペインのマラガからアイルランドのコークへ(Malaga, Spain to Cork, Ireland)。
このところ僕はアイルランド共和国内でひたすら演奏をしている
このところ僕はアイルランド共和国内でひたすら演奏をしているんだ。ゴールウェイ(西部の都市)、コーク(南部)、ダブリン(東部、首都)そして Electric Picnic での最初のギグ(ダブリン近郊にて)。どれもこれも驚くばかりだよ。ダブリンの Button Factory に戻ってくるのがとても楽しみだけど、北アイルランド(UK国内)でも初めて演奏するんだ。僕らにはイングランドでショウがあると(北アイルランドの)ベルファストからわざわざやってくる一団がいるんだよ。MTVアウォーズの始まりである Music Week の基調演説をベルファストで行ったけど、(演説よりも)僕と僕らの音楽を演奏することでみんなと繋がるのが最高だね。
僕らのセット・リストは僕のグループである CHIC の音楽だけで作られている訳ではないよ。いくらかの、CHICが他人の為にそのオリジナルで演奏している、僕が書いてプロデュースしたもの:デイヴィッド・ボウイー、シスター・スレッジ、インエクセス、マドンナ、ダイアーナ・ロス、シェイラ&B. ディヴォーション(♪He's a Spacer っていう曲 "Spacer")、それからおそらく観客のヴァイブに依存した(ノリ次第で選ぶ)何曲かといったレコードも含んでいるんだ。
ベルファストのショウはアイルランド共和国でのギグと同様、息をのむ程のものになると期待しているんだ。音楽の力は経済や政治に代わるものだ。若い頃、僕は自分を揺り動かした音楽を聴く為にお金を工面していた。何故ってその経験が僕の魂を豊かにしたからね。僕らの音楽の唯一の目的はみんなの心、足、そしてお尻を揺り動かす事さ。
僕らが欧州一の島(グレイト・ブリテン島とアイルランド)に着いたからには、さぁフリークアウトするぞ!(We're Coming to FREAKOUT!)
ゴールウェイのショウはまったくもってパーフェクトだった!
バッチリ合った動きのドン・ハリスとビル・ホロマン、ゴールウェイにて
僕らはショウの最後にはいつも観客を舞台にあげる
アイルランドのファンがノリノリになっているところ
興奮のるつぼのなかでキスを受ける。アイルランドの観客はファンタスティックだった! 今まで演ったことのない曲もいくつか演奏した
アイリッシュの三姉妹と舞台裏にて。魅力的なダーク・ヘアと青い眼
ジェリー・バーンズが「ウィー・アー・ファミリー」でキメているところ - 後ろはキム、ナイルそしてフォラーミ
フリークアウトする為にアイルランドへ来たんだ!
次の行き先はUKのヨークシャー(マンチェスター経由)、Magic Loungeaboutに出るんだ! そしてCamp Bestival(イングランド南西部ドーセット)、ベルファスト(UK 北アイルランド)、ダブリン(アイルランド共和国)と続く。ヨーロッパへ逆戻りさ!(Back to Europe!)
ニュー・へイヴンのイエール大に在るスミロウ・キャンサー・ホスピタル
この記事を公開した数時間後に、僕はいつもと別の癌のスペシャリストのもとへ向かう - 彼は神経科医でもあるんだ、何故って僕が神経損傷を受けているのは明らかだからね。癌が原因で起きた僕の最初の出来事はアース、ウィンド&ファイアーとのコンサート中のことだった。その時僕は右手の筋力を失ったんだ。良くなってはきたけれど完治とはいかない - その一方で、僕は何年もの間、左のかかとの神経障害を我慢していた。でも癌治療をうけてのセラピーをした後でそれは完治したよ(駄洒落の意味は無いからね。でも、不思議だよな?)。[※訳註:heal と heel の韻]
人間の身体というのは本当に驚異であり素晴らしく、そして複雑だね。明日、僕は NY市のリンカーン・センターでコンサートを行い、その直後に一連のコンサートをする為にアイルランドへ飛行機で戻る。そしてイングランドに戻り、モナコでのショウも続く。それらの全てがこれからの数週間のうちにあるんだ。
文句を言っているんじゃないよ。僕は世界一グレイトな仕事をしているんだ。何人かの地球で最もクールな人々と一緒に演奏して時間を共に過ごせるんだ。下に掲げる幸せそうな顔を見てくれよ。信じてくれ - ファンがハッピーな時 - 僕はそこで(みんなの為に)自分が愛してやまない音楽を演奏できて、みんなの二倍ハッピーなんだという事をね。
そして僕は約束するよ、僕は自分がこの世を去る日(My Dying Day)までこのハートをファンクさせていくという事を。
僕らはCHICでのコンサートを NY市のリンカーン・センター(LCPA)で行う
僕はアイルランドに飛行機で戻り一連のコンサートをする
ハッピーな顔、顔、顔
引き続きハッピーな顔、顔、顔
フランスのハッピー・ピープル
ジュアン-レ-パンのハッピーな女性
ハッピーな姉妹
信じてくれ - ファンがハッピーな時 - 僕はその場で(みんなの為に)自分が愛してやまない音楽を演奏できて(みんなの)二倍ハッピーなんだという事を